多数って、そんなに?

こんにちは。

 

ふと、前から思っていたことだけれど…

 

物事を決める時、

多数の人がいいということが果たして本当に、真実で、重要なのか?

ということ。

 

もちろん例外はあって、少数の人たちの中には、

その世界の中で実は人を傷つけていたり、

人道的にみてよくないことをしていたり、

という事実があり、

だから多数の人たちは、

その少数の人たちのことは認められない、

ということがあるならば、多数の人たちのいいということは、認められてもいい。

 

けれど、そういう例外を除いて、

物事を決めるときに多数の人がいいと言っているからという理由だけで、じゃあこちらに決めようというのは、ちょっと違うのではないかと感じる。

 

もしかしたら、

少数の人がいいということの方が、

将来、未来では主流となる、斬新な考えかもしれない。

多数の人が思いつかないような、だけど突拍子もないものかもしれない。

 

その少数の人たちの考えを採用した方が、

突破口になって、より新しい風が入り、

結果的には、一番Bestなものになる可能性を秘めているのではないかと思うのだ。

 

少数の人たちは、自分を表現することって、

やはり勇気はいる。

多数の人たちと同じ方が、気持ちは楽だもんね。

 

でも、少数は少数なりに表現していくことは大事だと思うし、

いまは少数でも、未来は多数の側にいるかもしれない。

 

もしかしたら、未来は、

多数とか少数とかの概念はなくなっているかもしれないね。

 

じゃあ、決める基準は何になるのか?

それはまだわからない。

 

ただ、多数の重要性より、

少数に耳を傾けてみる機会を増やす方が(少数が必ずしもいい、ということでもないけどね)、

その時は面倒なことであっても、意外な発見があり、

その世界も風通しがよい世界になるのでは?

と。

 

でも、今思い出したのは、

多数対少数という構図ではなく、

多くの人がいいと言っているものが、とても

いいものである場合もあるということ。

 

要するに、

多数の人が言っているから…とかでもなく、少数の人が言っているからでもなく…

どちらの考えも、自分にとってはどうか?

が、大事なのかもしれない。

そして、自分はどう思っているのか?

 

ふと、思ったことでした。

 

それでは。

 

 See you🌈